Rayを釣りたくて III

フロリダ沖に降り注ぐ栄光の光の中で舞い踊るトビエイを釣り上げる事を望むブログ。スポーツナビ+閉鎖に伴ってIIIとなって引っ越しました。旧記事で画像がほしい記事があればコメントいただければ、気づき次第対応します。

イラン野球の旅 2日目 イランの街中を歩く

 そんな訳で前回終わらなかったイランの旅2日目。ここまでの私の動きを整理してみます。文字の色が変わって色ところは各記事にリンクを貼ってあります。

9月20日(土) 羽田空港到着

9月21日(日) 羽田空港→ドーハ→テヘラン

       サファイアン氏・ニマ氏と合流

        サファイアン氏インタビュー

       セムナン市へタクシーにて移動

       色川氏・アミール氏と合流

       セムナン市泊

9月22日(月) フォードマハレにて野球教室開催

        セムナン市に戻る(←今ここ)

 とにかく9月21日が30時間くらいあった上に、盛り沢山な内容になっていたため、相当な時間がかかってしまいました。旅行記の中では現在9月22日の午後3時くらい。ホテルに戻ってきて遅い昼食をとりました。

 その間、やはり話すことは如何にイランの野球をサポートするか、と言う話。今後イランで必要なこと、日本からできること、色川氏がしたいこと、私ができること、将来のビジョン、そういった話題が中心になりました。

 色川氏自身は教育者として、単に野球の技術を教えるだけではなく、子供たちに野球を通じた人格形成を行っていきたいという思いが根底にはあります。彼が仙台の中学校の職員として経験した様々なできごと、伝えた想いなどを、今度はイランの少年たちに伝え、彼らにより幸せになって欲しいという思いがあります。(ここら辺は私自身が伝えるのは不適切だと思うので、色川氏の話を伺う方が良いでしょう。)

 一方で、イランの連盟は何を求めるか、現場の野球選手は何を求めるか、こことは違う話も出てくる訳で、難しい問題ではあります。

 さらに、私は日本に仕事もある訳で、なかなかイランの現場で働くことはできません。とはいえ日本でもできることはあるはずで、では何ができるのか、と言う話もあります。イランのためにならないのであればいくら日本で熱意を持っても全く無駄でただの自己満足に終わります。そうならないためには、いったい何を望んでいるか、と言うことを把握することが重要です。

 そのために今回はわざわざイランに来たということです。イランの野球連盟のキーパーソンと顔を合わせること、現状と求めているものを知ること、それこそが今回の目的となります。

 そんな訳で小難しい話をしながら、結局やっぱりキーシュ島に飛んで、野球連盟で国際関係の担当をしているのヤーサー氏と面会することになりました。と言う訳で、キーシュ島に行く日程を調整したところ、どうやら25日の朝にテヘランの国内線空港を発つ便があるのでそれでキーシュへ飛び、その後26日の夕方テヘランに戻り、国際線空港から日本へ帰るというルートを取ることになりました。

 で、航空券無いよ?ということで航空券を買いに行くことになりました。そんなすぐに手に入るものなんですね、イランでの航空券。そういう意味では、アメリカの様に長距離バス感覚で飛行機を使えるんですね。日本でも値段をあんまり気にしないで済むビジネスマンなどは似た感覚があるかもしれませんが。

 アミール氏と共に夕暮れが近づいてきた街に繰り出し、今更ながらお金の両替と航空券の購入に向かいます。近所の街中ということでまずは歩いて両替商を探します。で、まず最初にぶち当たる問題が、「信号も横断歩道も無い中でどうやって道を渡るか」です。車は何事も無かったかのようにぶんぶん飛ばしています。交差点はランダバウトなので信号はありません。そして以前も言ったようにイランの街中は交通量がとても多いです。

 正解は「車の隙を見て好きなところで渡る」となります。これ、実話です。まるで盗塁する様な勇気と、車のモーションを盗む観察眼と、足の速さと、ルート取りのテクニックが必要とされます。刺されればリアルで三途の川への一方通行、後戻りできない命を懸けた盗塁を日々行う必要があるのです。盗塁失敗は許されない、究極のシチュエーションです。イラン人、そういうイメージを持たせたらやたら走れるかも。

 実はイラン国内、本当に信号は少ないのです。今回の旅でもテヘラン市内にいくつか見かけただけでした。ちなみに青も赤もあと何秒で変わるか、カウントダウンされていきます。その他の場所ではほぼ0。とはいえ後日行くことになるキーシュにしてもフォードマハレにしても交通量は少ないので大きな問題にはなりません。というかフォードマハレは本当に数百年前から生活はほとんど変わっていないのではないかと思われる村で、車が走っているのはおろか、そもそも人はロバや馬に乗ってましたからね。あとはかろうじてバイクか。

 交通量が多く危険なのは大都市の方で、セムナンはそれに該当します。つまり結構命の危険を感じるのです。もっとも車の方も人は轢きたくないですし、人も轢かれたくはないので、スピードが出てない状況では割と紳士協定的に渡れるのですが、スピードが出てると制動距離が伸びますから、結構恐怖です。

 そんな危険な盗塁をいくつかして、街中の大きなランダバウトにたどり着くと、まずは聞き込み調査。どこに両替商がいるかを確かめます。どうやら少ししたところにある様子。ちなみに、イランでは両替は両替商でしかできません。逆に結構な数の専門の両替商がいるようです。銀行はそのような業務は行っていないので、日本の感覚では不思議な感じがするでしょう。また、基本的に日本円は両替できないはずです。セムナンではできませんでした。やはり世界の共通通貨米ドルかユーロを持っていくのが良いと思います。イランではヨーロッパの方が地理的にも文化的にも近いこともあってユーロの方がなじみがありそうです。

 で、見つけた両替商はなんとお休み。アミール曰く、どうも午前中(8時~11時)と午後(17時~22時)が業務時間の様です。お昼休みどころか午後は全部休みな勢いです。

 また脱線します。イランではこのような二部制の業務時間は極々一般的です。実際に行ってわかったのですが、昼間の時間帯は強烈な太陽光と気温のせいで人間はまともに行動できないレベルになります。そのため、午前中の早い時間帯と、夕方以降の活動が中心になり、シエスタ?というには長いレベルのお休みを午後取るのです。そのため、朝早く、夜遅いという謎の業務形態が発生します。これは全国共通の様で、キーシュ島でも午後になるとショッピングモールも全店閉店し、追い出されてしまうのです。逆に24時間営業のコンビニの様に、ごく一部、終日営業する店はそれがアピールポイントの様ででかでかと書いてあります。観光には非常に不便な国な一方、合理的と言えば合理的…なのか?また、これで分かったのはいわゆるラマダンでも夜間の営業まで我慢するのは、お昼に長い休みがあるので言う程苦にはならないという点と、逆に夜間に飲み食いするのも全く不自然じゃないというところですね。

 この国が宵っ張りなのは凄まじく、大体夜中の10時は7時くらいな感覚で過ごします。キーシュ島の女子ソフトボールのチームでは22時から練習開始して1時くらいまでやってたそうです。。。日本の感覚からするととても不思議ですが、こっちではそれが普通なのです。

 16時45分くらいだったので、店の前でだべってすごし、開店後、すぐさま両替をします。現在のレートだと大体1ドル26,000イランリヤルと言うところです。凄まじいインフレ等もあり、正直紙幣の額面は見たことない様な数字が並びます。基本的によくつかわれる紙幣は500,000リヤル紙幣(通称50)と50,000リヤル紙幣(通称5)でしょうか。500,000リヤル紙幣にはおつりが返ってこない(?)、ある種小切手的な使用法をするものと、帰ってくる通常の紙幣と2種類あったりします。まぁぶっちゃけ使い方は最後まで良くわかりませんでした。

 そのまま今度は航空券を買いに徒歩で移動します。イランではネットで航空券を買うような方法は一切なく、基本的には旅行代理店を通して購入する形になります。

 そんな訳でお店の多い、街の繁華街をぶらぶら。途中であったゲーム専門店に立ち寄ってみると売られていたのは基本PS2XBOX360の2機種とそのソフト。ソフトは英語でした。こういったゲームは割と一般的の様ですね。子供の頃はみんなやったことがあるよ、とアミール氏。

 ようやく大きな交差点の角にあった旅行代理店を苦労して見つけました。4階にあるとのことでボロいエレベータに乗って移動します。日本ではまず見かけない手動ドア(笑)ドアは空きっぱなしでもエレベータはお構いなく動きます。アミールは涼しい顔なところを見るとどうもこういうのも普通にあるようです。あれま。さすがイラン。

 旅行代理店に入るとカウンターがあって、担当者と対面で座って条件に合うものを探してもらうという極々一般的な形式。もちろん、PCで探してもらいます。一方で日本の代理店の様に山の様なパンフレット類や広告は出ておらず、唯一広告ともいえるのが巨大な航空機模型。しかも作りが甘い。色々検索した結果、キーシュ往復の航空券が購入できました。お値段約150ドル。かなり安いですが、LCCではなく一般的な国内線であるキーシュ航空とのことで、実は相場よりちょっと高いとか。また夏場のハイシーズンと言うことも影響してそうです。

 無事、航空券を手配できたことでタクシーに乗ってホテルまで戻りました。途中、アミール氏とアイス食べたりしたのは秘密です。

 そんなこんなで二日目が暮れてゆきました。